本日の夕食
ビルのミラー壁面にあたった夕日の油でこんがり揚げたアスファルト屑のコロッケ、中身はもったりした漆喰。
鉄パイプを輪切りにして防炎シートと和えた箸休め。
断熱材をガラ袋に詰めて焼いたものにかぶりつきながら、ノンアルだけどビールを流し込む。
デザートはブルーシートのシャーベット
足場を重ねてつくったウエハースで掬って、たいらげた。
風呂上がりの暑さに我慢できなくてシャーベットをおかわりしたら、舌が青くなって水を弾いている。
身構えていた用事がなんとも拍子抜けなくらい早く終わってしまって、朝の9時にぽかんと口を開けて(でも指は忙しなく動かして)、「〇〇駅 観光」と検索していた。結果はというと何もない。ならば次の予定までの空き時間は美術館に行こうと決めた。なぜそう考えたかというとポンペイ展が気になっていたから。でもなぜかフェルメール展のチケットを予約していた。視界に飛び込んできたものがそれだったので仕方ないね、ということにする(往往にしてよくある)。
上野に行くのは久しぶりだった。たぶん2年くらい行っていない。元々人波にもまれるのは好きじゃないので積極的には外に出ない。でも上野公園で散歩することが好きだし、美術館でひっそり息をしながら自分の歩幅で歩くのが好きではあるので、ずいぶんウキウキとした気持ちで向かっていた。
さぁ入場するぞと電子チケットを受付係の方に見せると「これうちじゃないですね」の一言。建物を間違えたらしい。地図見たつもりだったんだけどなぁつもりだけだったなぁと思いつつフラフラしながら公園に戻ろうとすると、とんでもなく素敵なものを見つけた。
鯨と目が合った。
こんなに大きな模型があるとは知らなくて、興奮して別の角度からも撮った。
かっこいい。大きい。こんなに大きな生き物が海の中を悠々と泳いでいるなんて、想像するだけでおそろしい。けどこれは想像上の生き物じゃなく実在する。わたしの知らない場所で生きているらしい。
鯨のような生き物が好きだ。わたしは地図上にない国に行って暮らしてみたかった人間なのだけど、この世に自分が体感していないこと・知らないことは星の数よりたくさんあるということを思い出させてくれるから、鯨のような生き物たちが好きだ。また何かにやさぐれたときにはこの鯨を見に来ようと思う。
フェルメール展は音声ガイダンスの方々がとても良い声でわかりやすく説明してくださるのでとても楽しめた。レースや金の鎖が本当にそこにあるとしか見えない描き方をされていたり、目で見える正確さよりコミカルな配置だったり、絵を描く人の目は私と同じものを見てもまったく違う読み取り方をしているのだなと思った。人間ってそういうところが面白い気がする。
丸くてふわふわなものと同居している。
自室の扉横が彼女の定位置で、出入りするときにそっとなでることもある。ときどきやわらかくつついたりもする。ちらりと視線を向けられるけれど好きにさせてくれる。
彼女は一般的に愛玩動物とされるもので、わたしは専用の店舗で彼女を購入した。売り買いされていることに疑問を抱きながら、ただきゃっきゃとはしゃいで迎え入れた。もう××年ほど前のことだ。
彼女は子どものころとても暴れん坊で、わたしの所有物を片端から壊した。お気に入りの置物、褒めてもらった作文の原稿用紙、買ったばかりの扇風機。夢中になって壊すのだ。そしてちらりとこちらを見て、これは壊すと悲しまれるものだったのだと判断するともう壊さない。その代わりこちらを見てこれは壊していいと判断したものは丹念に破壊する。機械の内部のねじのひとつまでねじ切る。とことん遊びつくす性分なのだろう。
彼女は壊すとなるととことん熱中するたちだが、人間については脆くしょうがない生き物と判断したのかひたすらに優しい。本来起きる時間に起きてこなければ肩をつかんで揺り起こしてくれるし、バタバタと出ていくものにはちらりと目線で見送ってくれる。どんなに怒っていても教育的甘噛み以外はされたことがない。しかもそれもたった一度だけだ。
彼女も今は年老いて、心まで丸くふわふわになったのかときどき昼寝中に寝言のような音を出す。舟をこぎ、身じろぎし、楽しそうな表情をする。お昼、すずしくもあたたかくもない気温のときが一番眠りやすいらしい。腹部が穏やかに上下する様をちらりと盗み見ては心和ませているが、あまり何度も繰り返すといつの間にか起きてこちらをちらりと見つめている。口元が緩んでいるので怒らせてしまっているわけではないと思うけれど。
丸くてふわふわなものと暮らしている。
少し悲しい夢をみた。
午睡の中でなんとなくこれはどこかで見たことがある夢だと思っていた。たまにシリーズものだったり過去に見たものとまったく同じだったりする夢を見る。これはどちらかというと怖い夢の類で、このあとの展開をなんとなく思いだしては時間が進むのを恐れ、どうか違う方向に向かいますようにと願っていた。
ある街に男の子がいた。実年齢がわからないので便宜上男の子というが精神的に大人びている子だ。かつて見た夢では彼が怖い出来事の中心的人物だった。しかし彼は以前よりも穏やかで理知的で物悲しい雰囲気を漂わせている。それに言動も異なっていた。詳しい経緯は思い出せないが、彼と夢の中のわたしは互いが互いにとって大事な存在だと確認しあっていた。
今回はともに穏やかに暮らせるのではないか、そう期待しはじめた頃、彼が昔起こったことについて語ってくれた。かつて街におそろしいことが起こり、それを退けるために街の人々が行った儀式についてだ。強いまじないには強いまじないで返すということなのだろう。詳細はとても書けないけど、人が多く傷つく、目を覆いたくなるような叫びたくなるような儀式だった。
ある日、夜のはじめのころの時間帯に、彼はより強いまじないを完成させようと動き出した。わたしはそこでこの夢がわたしが恐れていた展開と同じ道を行くのだと気づく。ただ以前の夢とは違って、出来事の中心的人物だった彼がどうして行動したかの理由を理解した。彼は街の人々が行ったことの責任や後悔を、自分のより強いまじないでもって肯定し昇華しようとしていたのだ。そうすることで儀式で人を傷つけた街の人々の苦しみが、意味あるものになり良いものになると考えていた。どうしてと問うた時に彼が浮かべた表情は、きっとあの儀式がなければ彼はこの手段を選ばなかっただろうことを伝えていた。救われる誰かがいるから、為されねばならない。これからする行いがおぞましいことは理解していて苦しく辛いけど、そうせずにはいられず、そうすることで彼自身も安堵できる。ひとつの笑みに悲しみと安らぎが薄く重なり合っていた。
いかないでほしいと願ったとき、わたしは夢から覚めた。あの夢を見続けたときその後どうなるかは想像するに難くない。だから目が覚めた瞬間、あれ以上彼が人を傷つける場面を見なくてよかったことに安心した。そしてもう誰かを傷つけることを肯定しないでほしいと願った。傷つける苦しみ悲しみがわかるならどこまでもそれを厭うてほしい。でなければ果てには彼が深く傷つくだろう。わたしはそれを許容したくなかった。
わたしが悪夢を見るのは少々寝すぎたときと暑苦しい時だ。今はこれ以上眠らないでいられるように冷たい水を飲み頭を冷やしながらこの文を書いている。現実ではないとはわかっているけど、悲しい気持ちになるのはもう充分すぎる。